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鴻池財閥の始祖・山中新六幸元の父、山中鹿介とは

山中幸盛(通称:鹿介)は、出雲国・月山富田(がっさんとだ)城(現島根県安来市)を本拠とした尼子(あまご)氏の家臣。すぐれた武勇で知られ「山陰の麒麟児」の異名をとりました。

安芸国の毛利軍に攻められ月山富田城を落とされますが、諸国を流浪しながら尼子の遺臣などを集めて捲土重来を期し、山陰、山陽、近畿を舞台に3次にわたり尼子家再興運動を展開しました。

鹿介は備中国合の渡(現岡山県高梁市)で毛利氏家臣に謀殺され、志は潰えますが、その不屈の精神と揺るぎない忠誠心は日本人の琴線に触れ、「忠義の武将」「悲運の英雄」として後世に語り継がれます。江戸時代には講談に取り上げられ、明治以降も教科書に掲載されました。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという話は有名です。

月山富田城跡(安来市)=安来市観光協会提供

月に祈る鹿介の像(安来市)=安来市観光協会提供

同じ中国地方の広島県竹原市出身のニッカウヰスキー創設者、竹鶴政孝氏は、自ら指示して鹿介愛用の兜を紋章(エンブレム)のデザインに採用しました。この紋章は現在も製品のラベルやキャップに使用されています。

鹿介の兜を配したニッカウヰスキーの紋章

鹿介については、島根県安来市観光協会ホームページに詳しく掲載されています。

 

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