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米国ワシントンの桜は伊丹産

アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.ポトマック河畔に植えられている有名な桜は、明治45年(1912)、日米親善の証として尾崎行雄・東京市長(当時)からアメリカに贈られました。この桜は、わが国有数の植木産地、伊丹市東野産の台木に東京・荒川堤のソメイヨシノなどの穂木を接ぎ木したものです。

ワシントン・ポトマック河畔の桜

ワシントンに桜を植える計画を最初に提唱したのは、アメリカの紀行作家・地理学者で親日家のエリザ・ルアマー・シドモア(1856-1928)でした。外交官の兄が日本領事館に勤めていた縁で明治17年(1884)に初来日。以後たびたび来日して人力車で各地を旅行するうち桜を愛でる日本人の精神に魅了され、1909年4月、タフト大統領夫人に桜の植栽を提案しました。この話がワシントンの日本総領事を経由して尾崎行雄の知るところとなり、日露戦争の講和をアメリカが仲介してくれたことへの感謝と両国の友好親善を願って桜の寄贈を計画しました。

エリザ・シドモア

この計画はアメリカ側も受け入れ、さっそく1910年1月に約2000本の苗がワシントンに到着。しかし、病害虫に汚染されていて全て焼却処分されたため、東京市は直ちに病害虫に強い苗木の生産を農商務省に委嘱しました。ポイントとなる山桜の台木は、高い園芸技術を持つ兵庫県川辺郡稲野村東野(現伊丹市東野)に生産を依頼、その台木を静岡県庵原郡興津町(現静岡市)の農商務省農事試験場園芸部に運び、東京・荒川堤の五色桜から採取した穂木を接ぎ木して育てました。そうして作られた苗木約3000本がワシントンに到着したのは、明治45年(1912)3月。苗木の状態はほぼ完ぺきで病気、害虫は全くなく、検疫官を驚かせたと言われています。

夢を叶えたエリザでしたが、アメリカ議会が1924年、いわゆる排日移民法を可決したことに抗議、スイスに移住し、一度も帰国することなく72歳で亡くなりました。遺骨は母や兄の眠る横浜市の外国人墓地に埋葬されました。墓碑の傍らにはワシントンから里帰りした桜が植えられ「シドモア桜」と名付けられています。

日米開戦という悲劇を乗り越え、アメリカで長きにわたり愛されてきた日本の桜。その寄贈から90年を記念して米国からワシントンの桜の子孫樹1本が伊丹市に寄贈され、平成15年(2003)4月、瑞ケ池公園に植えられました。その「里帰り桜」は毎春、美しい花を咲かせ、市民に親しまれています。

瑞ケ池公園

瑞ケ池公園の「里帰り桜」

 

また、平成24年(2012)5月には「日米友好の桜100周年」を記念、新たにワシントンの桜の子孫樹が伊丹市に寄贈され、来日したワシントンD.C.さくらのプリンセスや日本の「さくらの女王」、藤原保幸市長らの手によって市立図書館ことば蔵(伊丹市宮ノ前)の庭に植樹されました。

「里帰り桜」を植樹する「さくらのプリンセス」(右から2人目)ら=ことば蔵で

 

 

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